辺境にて

南洋幻想の涯て

タンカン

 スュリの土地に去年植えた自家用の野菜類は少しづつ収穫し大事に食い繋いでいる。特にブロッコリーとカリフラワーが美味だ。サラダやスープ、また肉と一緒にオイスターソースで炒めても好い。

 そして亡き祖父の植えたタンカンも収穫した。木を低く仕立てたりしていないので屋根より高く奔放に育っている。

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 人望の篤かった祖父が亡くなった時、葬儀に余りに人が来たので屋敷に入りきらず、この木々の下で執り行ったそうだ。昔使っていた屋敷の井戸もこの付近にある。

 脚立や直に木登りをして収穫し、それでも届かないところは諦めて鳥に譲渡する。このタンカンも自家消費用なので売らずに内地に居る親戚等に贈る。農薬も使わずただ肥料だけだが毎年良い実をつける。

 


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写真でうまく伝えられないが剪定などしていないので屋根より更に高いところまで枝が伸びている。

 


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 箱に他所の農園名が書いてあるのは夢やぶれて去った移住者に貰った遺物だからだ。内地の友人に移住失敗がトレンドになっていると教えて貰った。田舎への幻想を抱いて都会から来た者が、やがて田舎の現実に幻滅して去るという話が脚光を浴びているそうだ。

 だが長い目で見ると高齢化し減るばかりの先住民はいずれ居なくなる。移住者との数は遅かれ早かれ逆転する。初めは個人の幻想に過ぎなくとも、大勢で持ち寄り擦り合わせ共有してしまえばそちらが現実になる。

 競合する本来の文化や風景など、元の姿とは似て非なる商売上都合の良いものに塗り替えていくだろう。入植者と先住民はいつだって勝者と敗者の関係なのだから。

 私はシマの血と内地の血と半分づつだから、この水面下静かに展開する生存競争においては却って一番の部外者なのかもしれない。タンカンはタンカンでしかなく、交配元のポンカンにもネーブルオレンジにも成れない。

 遠巻きに見ていたメジロに少し分けてやった。

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