辺境にて

南洋幻想の涯て

ушанка-2

 12月30日、風邪、治りつつあり。インフルエンザだったのかも知れないが、夜間診療を受診したため検査ができず不明なままだ。今日は母からのプレゼントで岡山の湯原という所へ一泊旅行へ行く。母、母の夫、祖母、シーズーペットホテルに、私と妹は近くの温泉旅館に宿泊する。

 私と妹だけが別なのは、私が犬アレルギーだからだ。咳はまだ収まらない。しかし母から宿代の高額なるを強調されてしまい、行かざるを得ない。

 自家用車に乗っているだけだから犬アレルギーさえ発症しなければどうにかなるだろう。温泉に浸かれば病気も快癒するかもしれない。人からはなるべく離れていよう。

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アレルギーがあるのに犬好きだ。犬にも好きな事が伝わるのか好かれやすい。

 旅行の直前、母から「気管支拡張パッチ」を渡された。さすが母は私の製造元だけあって、未だに私をアップデートしてくれるのだ。パッチをあてた。車が出る。

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かわいいアレルゲン。

 パッチは効いているのかどうか判らない。シーズーから極力離れ、窓も少し開けた。

 吹き込む風が冷たいので手で弄んでいたウシャンカをかぶる。耳当てを下ろしていると声が聞こえずらいので上で留めた。こうして会話に参加する準備を整えたのだが、ウシャンカの我が鉢を包む暖かさにすぐ眠ってしまった。

 昼食はきつねうどんを食べた。幼いころから油揚げが好きだ。祖母に「あんたは狐のなりそこない」とよくからかわれた。今の祖母はぼんやりとしていて自分から話すことはもう少ない。

 次に目が覚めると山間を走っている。もうすぐ着くらしい。更に眠る。車のドアが開く音。冷たい空気が入って来た。到着だ。コートを羽織って鞄を襷にかけ降りる。

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 遠くに高い山。壁のように周囲を囲んでいる。山の間の温泉街らしい。こちらは母たちの泊まるペットのためのホテルだ。

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 私と妹はここで別れて自分たちの旅館へ歩く。知らない町を歩くのは楽しい。

 斜面の下で母とその夫とシーズーが遊んでいた。

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 母の夫は私の父ではない。いわゆる母の彼氏というものだった。それがいつしか入籍した。入籍した母の彼氏をなんと書けば良いのかわからない。

 彼、母の夫は少し気難しい男だが、凶暴な母にいくら執拗で理不尽な口撃を受けても決して暴力は振るわない。そこが私の生物学上の父である魔王との大きな違いだ。因みに母も、負けじと魔王に皿など投げていた。


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 やがて相互DVを続けているうちに母は彼氏を作り、魔王は見事逃げられ離島の実家へ帰り今に至る。その時魔王は私の弟を引き取って離島へ連れて行った。だから弟は今でも魔王と姓が同じで、魚の突き方など教えた魔王を崇敬している。

 一方私は、離婚後養育費も踏み倒され自分で借金をして高校を出た。母は私が高卒で働き始めるまでの三年間は学費ローンを払ってくれた。 そういう訳で魔王には何の感謝もない。

 母は逃げて正解だったようだ。眼下でシーズーと楽しそうに走っている姿を思い出すと心からそう思う。

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 湯原の町を歩く。遠景、村の端から背の高い杉がそびえ立っている。木々の葉の緑、それが造る陰、いずれも濃く暗い。離島の亜熱帯の山、つまり私の職場と比べて厳かな雰囲気だ。

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 川を渡り私と妹が泊まる宿にチェックインした。外から見ると九龍城のようだったが中は落ち着いた雰囲気だ。部屋は典型的な旅館の一室。南国暮らしで和風文化に飢えている私には懐かしかった。

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 荷物を置き、妹と散歩に出かけた。ロビーで周辺の観光地図を見る。だがこの辺りは車で観光する事が前提になっているらしく、徒歩で到達できそうなのはオオサンショウウオ資料館ぐらいだった。旅館を出る。

 駐車場の車のほとんどがワイパーを立てていた。雪の降る地域ではこうしてワイパーに雪が積もるのを防ぐのだ。そう妹が教えてくれた。


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 なるほど。地域ごとに特有の生活の知恵が有るのだ。蒐集すれば面白そうだ。早速私の住む離島特有の知恵を考えてみた。だがこれと言って無かった。

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 資料館への道中には少しの雪が残っている。一年の最後にようやく見る、今年初めての雪。私の住む離島では10度ぐらいまでしか下がらない。だから雪の降るのさえ見ることがない。道の端の珍しいそれをわざと踏みながら歩いた。


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 ハンザキことオオサンショウウオは思いのほか怪獣だった。


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 オオサンショウウオについてひとしきり学習した我々は、続けて旅館の裏の川を散歩した。頭の中はオオサンショウウオでいっぱいだ。あんなに奇怪な生物の事を今まで忘れていた。生きたそれを見るとその迫力に圧倒された。次、書店に立ち寄った時は是非井伏鱒二を読もうと思った。

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 川の中に早速ハンザキを探す。あれがそうじゃないか、いや岩かもしれないなどとやっていると川上から二羽のアヒルが漂ってきた。そして我々を視認するや否や近づいてきた。人に慣れているらしい。かわいい。

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 川から出てこちらへ上陸しようとしているが、川ぶちの茂みや段差で出られないようだ。何度か試みては滑り落ち、やがて諦めた。飛べばいいのに。

 二羽のうち一羽が積極的で、こちらが接近を試みている。もう一羽は慎重派らしく相方の趨勢を少し離れたところから見ている。

 ひとしきり観察したので散歩を再開した。アヒルが川に沿ってついてくる。川から離れると鳴いて呼ぶ。面白い。

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 そうして遊んでいて判明したのだが、彼らは私ではなく妹について行こうとしているようだ。妹がちょうど彼らと同じような色の服装であるためだろう。

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ちなみに私は真っ黒だ。

 妹はでかいアヒルと間違えられ、彼らのリーダーになったらしい。

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 これ以降はアヒルの話題ばかりになる。オオサンショウウオの存在は上書きされた。


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 部屋に戻り、美味しい夕食や温泉を楽しんだ。どれもアヒルに生まれれば楽しめなかったものだ。温かい湯の中で、夜の寒い川の中のアヒルたちを想像した。

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パソコンを持って来ているので夜はゲームをしたりアニメを観たり。

 さて寝ようとすると隣の部屋が騒がしい。数名で酔っ払ってはしゃいでいる。しまいに合唱が始まった。妹がロビーに苦情をいれた。テイさんという片言の人が出たそうだ。

 店側なんて弱い立場だ。やんわりと注意してまた合唱が始まって、を繰り返すだろう。と思っていたがテイさんは凄かった。

 しばらく後ドアを激しくどつく音が聞こえ、何時だと思ってるんですか!迷惑ですよ!と大声が聞こえた。合唱はすぐに止んだ。そのあまりの勢いと対応速度は、テイさんが到着するその前に、別の部屋のおじさんがキレたと思ったほどだった。しかしその後ロビーから電話が来て彼の仕事だとわかった。

 二人とも宿のアンケートにはテイさんへの感謝を書いた。

 温泉の良かった事、アヒル、山間の風景や雪の珍しかった事、テイさんの勢い、アヒルなど旅の思い出を語り合ううちいつしか眠っていた。

 夢の中の廊下で、テイさんがドアにカンフーを多段ヒットさせている。その廊下はアヒルで埋め尽くされている。