妹からのプレゼントで一泊二日の浜名湖旅行へ行った。鍾乳洞や砂丘、湖畔を観てまわった。10歳も離れた妹とはケンカをする事がなくずっと仲が良い。
そんな楽しい旅行も終わり、数日後の内地最終日。この日も仕事終わりの妹と合流し時間の限り遊び回った。
私は作業服と喪服しか持っていないので旅行中は妹の服を借りて着ていた。
本当は、もう最後になるからと、独り祖母宅で過ごそうと思っていた。もう見ることができなくなる家の、各部の写真を撮っておこうと思ったのだ。
だが当日に考えが変わった。無理にそんな悲しい時間を過ごさなくても、これまで住んでいた時に撮ってきた思い出がたくさんある。だからあえて最後も、そこで暮らしていた日と同じように過ごす事にした。だから出かけた。
最後の夜は祖母の家に帰る。この二十年ほど何度となく繰り返して来たように。妹と遊びに出かけ、一緒に祖母の家に帰る。
おばあさんの家。夏でもひんやりと冷たい土の壁。次に来るときには取り壊されている私の学生時代。
妹と2人、遅くまでこの家での思い出を語り合った。楽しかった事も辛かった事も。本当は祖母も交えて色々な話をしたかったのだが、祖母は最近疲れやすく、すぐに眠りに行ってしまった。
いつか一人暮らしを始めるその前。まだ祖母宅に住んでいた昔。よく友人を招いて酒を飲んだ。大抵の週末には小学生だった妹が泊まりに来た。ありきたりな事だがそんな日がずっと続くと思っていた。パソコンのフリーゲームをした事、比叡山に行った事、思い出を辿っていて気がついた。
…もう過ぎた日々として語っているが、今この瞬間もその家にいるのだ。
過去も未来も頭の中にしかない。実際に干渉できるものはこの現在しかない。あの日と地続きの、その最後が今なのだ。「あとがき」を読んでいるつもりでいたが、本当は最後の1ページなのだ。祖母だってそうだ。残りのページは少なくなったかもしれないが、今も私と同じ日を生きている。
手を伸ばしてすっかり日焼けした土壁に掌を押し当てる。土壁はひんやりと冷たくそこからまた色々な記憶がよみがえる。今夜は何をして遊ぼうかな。
早朝、台所で歯を磨く。布団を畳み押し入れに丁寧に収納する。こんな動作の一つ一つがほのかに悲しい。空港へ送るため迎えに来てくれた母に、家を背に写真を撮ってもらった。中学生の頃、両親の離婚時、父にも母にもついて行きたくなかった私が選んだ祖父母の家。
母の車に乗り込む。最後は流石に悲しく、振り返る事ができなかった。だから助手席のバックミラー越しにちらと見たのがこの家の最後の姿である。
おばあさんは私の飛行機を見送って泣いていたそうだ。私も祖母や思い出深い家と別れるのはもちろん悲しかった。しかしどうにもならない。人生を通して得た有象無象の財産は、いずれ最後までにその一切を取り上げられてしまうのだ。誰にもどうにもできない。
本島北部の空港に降り立つと暖かい高湿度が迎えてくれた。乗り捨てのレンタカーを利用し本島南端の港、クニャを目指す。途中でカツ丼を食べた。暑かったのでコートは後部座席に丸めて投げた。
船が出る。セルリアンブルーの、今はもう穏やかな海。その凪いだ鏡面を滑るフェリーの2階から甲板を見下ろす。魔王が港まで迎えに来てくれる事になっている。そろそろ屋敷を出ただろうか。船首のその先に目をやると遠くに離島が見える。10日前に発ったばかりなのに懐かしい気持ちになった。
魔王が聞く。内地はどうだった?大げさな身振りで私は答えた。アックェー、ヒギュルッサデオージラン!(ああ…寒くて堪らん!)それを受け、ダロウヤ。と魔王は笑った。私が育ち巣立った家を看取る旅は終わった。
バックパックから土産を出し仏壇に供えて線香をあげる。線香はとどまることなく燃えて灰受けに落ち煙は天井に向かって昇る。その間に燃える数mmの赤い熱