辺境にて

南洋幻想の涯て

セルリアンブルーの透明な檻

 内地から弟と妹が会いに来てくれた。日程は同時でなく少しずれている。私もそれに合わせ、一週間余り日雇いはやめにした。

 まず来たのは弟とその家族だ。内地からこの離島まで来るには首尾よく行って半日、こちらへ渡る船に間に合わなければさらに数時間かかる。

 

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 私が子供の頃は早朝に大阪の貧乏長屋を出て、スュリの今は亡き祖父母の下へ着くのが夜20時ぐらいだったと記憶している。そこから考えれば相当交通の便は良くなった。それは本島と離島に幾つものトンネルが開通したおかげだ。

 小学生の頃はこの離島へ来るのが一大イベントだった。自然、特に海が好きだった私と弟は、当時はまだ内地で仕事をしていた父が夏休みを取れるよう、見た事もない社長に祈ったものだった。

 そして休みが取れるとその日からは楽しみで眠れない日が続く。弟と虫や魚の図鑑を広げては、彼らと出会う瞬間を夢想し語り合った。

 まだ魔王ではなかった頃の父にも捕まえて欲しい生き物を頼んだ。父は上機嫌で安請け合いをしたが、あの日の私の依頼クエストは「コウモリダコ」だった。これは深海に棲息している。

 早朝に眠い目を擦り大阪の貧乏長屋を出発し、車酔いになり、飛行機で退屈し、バスに酔い、船に酔い、バスに酔ってその夜ようやくスュリの屋敷へ辿り着く。そこには優しい祖父母とヨーグルッペが待っている。そして翌日からは色と光にあふれる探検と採取の日々がある。

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 もっとも、色は兎も角この光というものが厄介で、喘息とアトピー性皮膚炎を併発していた私は強い陽光で皮膚に大きなダメージを負い、それが海水でしみて痛くてたまらなかった。

 夜は夜で屋敷の古さから来るダニや埃で毎晩喘息の発作が起きた。そういう時の両親を始めとした周囲の大人達の心配や、最悪そこから始まる口論などへの罪悪感が、私の余りにも人の顔色をうかがい、遠慮する性質へと繋がっているのかもしれない。

 それはそれとして、この頃の「とても楽しく綺麗な島」という原体験が、最後はそこへ渡って暮らす、という人生に通底した無意識下のテーマになっていったように思う。そこへさえ到達すれば憂い事の何もない楽園世界。これが私の育て続けた南洋幻想だった。

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 その日は日雇いの後、廃校へは帰らずスュリの屋敷へまっすぐ向かった。庭には弟の妻が居た。弟と子供達は早速海にボートを出して遊んでいるそうだ。今夜は庭で宴会をすると魔王が言ったのでテーブルや椅子の雨露を拭き準備をした。

 老魔王は生活リズムが完全に決まっており、夕食は17時台だ。なかなか帰ってこない弟達にイライラし始めた。しかし魔王は私と自身の彼女?ぐらいにしか強い態度をとることができない。だから弟夫婦や孫への苦情を一々私に言う。しかしスマホも忘れ海の上でボートに乗っている連中にできることはない。弟達の声が聞こえてくるまでアダンのハンモックへと移動し夕寝をした。


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ハンモックのあるアダンの木から落ちた実が、透明な海に浮かんでいる。

 釣り好きの弟は、移動の日を除いたたった2日の休みを全て海に使うだろう。私は幼い甥や姪の子守をする。

 夕食の時間、子供達が明日は一緒に海に入ろうとあんまり言うので困った。前述の通り肌が弱いので極力海水には浸かりたくない。

 実は私はこちらへ渡ってから一度も海に入っていない。喘息とアトピーは大人になってほぼ治ったのだが、それでも刺激を受けすぎるとアレルギーが出る事がある。

 ブルーカラーだから困難なのだが陽光にも当たり過ぎないように気をつけている。もちろん日焼け止めは常に持ち歩き何度も塗り直す。それでもこの南国の強い陽射しに耐えきれず少し湿疹ができる事がある。そんな丁々発止の肌事情であるからさらに高塩分の海水なんてとんでもない。

 それに島から自由意志で出られないとなると、あれほど美しく見えていた海も刑務所の塀か何かに思えてきた。頑なに海へ入ると言わない私に弟も心配し、あんなに海が好きだったのにと悲しそうにしている。

 だが弟や子供達に向かって、アレは私を捕える透明な檻だ!などと気炎を吐くわけにもいかない。いよいよ心配されてしまう。苦し紛れに海へ入ると錆びて無くなると言ってしまった。弟には海が好きではなくなったという意図は伝わったようでそれ以上何も言わなかった。

 しかしこれを子供達は真に受けてしまい、それから会う人会う人に、よっくん(私はそう呼ばれている)が海に入ると錆びるってホント?と聞き回られさらに困った。

 翌日は3人の子供達を浜から見守った。一番下の子は弟の妻が見ているので私は上の二人──小学校1年生の甥と幼稚園児の姪、を見ることになった。


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姪と貝殻拾いもした。

 しかしこの2人がライフジャケットを着たままお互いにプカプカと離れてしまうので大変困った。砂浜を右へ左へ牧羊犬のように走り回りながら、浜から子守をしていて良かったとつくづく思った。自分まで海中にいればそんなに機敏に巡回できないからだ。因みに弟と魔王の無責任男児どもはボートで沖の方へ魚を獲りに行った。水中銃は御法度だから長い手銛を持っている。


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海の前の流し台で魚をさばく弟と自らの器の前でおこぼれを待つベンガル嬢。

 最終日、弟達の帰ってしまう前日。そして妹の来る日。この日は子供達は弟と船釣りに行くというので、海へ行かない私は魔王から居丈高に農作業を命じられた。

 今日は農地へ水道管を埋設するためにツルハシでアスファルトを叩き割る作業だ。

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 小雨の中魔王への、また自由意思で島を出られないわが身(ヤンチュ)への怒りに任せてツルハシを振り回した。あまりの怒りと呪いのため自分でも驚くほど力が奮われ、疲労もしなかった。6割がた終わると妹が港に着く時間になったので、ツルハシを打ち捨て車で迎えに行った。アスファルトまみれで何それと笑われた。夜は花火などした。

 翌日、弟達を港まで送って行く。私は言われるまで気が付かなかったのだが、魔王とその三人の子、つまり私達兄弟妹が一同に会するのは魔王の離婚後初だった。出発前に庭で記念写真を撮った。

 出航するフェリーを見送る。上の甥が次いつ会えるの?と私に聞いた。わからない。私はこの透きとおった檻に囚われている。船上から見下ろす上の甥は泣いていた。楽しい思い出はできただろうか。そしてどうか、来年までには私が海へ入ると錆びて崩壊し消えるという設定は忘れていてくれ。

 

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