夕陽への郷愁。それは日本固有の文化なのだろうか?それともヒト共通の感覚なのだろうか?それから世界は一瞬紺色になり、あとはずっと夜である。いつまでも見守ってくれていると思っていた太陽に見限られたのだ。住居の発明は同時に家路の発明でもある。
試験官の計らいで思いがけず半日の休日が発生した。とはいえ特に行きたい所もなかったので何となくバイクで走り続け、原生林を思い出し、一昨日公園を見つけた山へ行った。
山の三叉路を今度は「←原生林」へ。一昨日そちらに行かなかったのは、いつかゆっくり時間をかけて見学したいと思ったからだ。原生林なんて面白いに決まっている。
車一台とも出会わない舗装された道を延々と走る。道の両際にヒカゲヘゴが茂っており白亜紀にでもいるみたいだ。
やがてまた表札が現れた。「→原生林7km」とある。矢印の指す脇道は道が真ん中でえぐれている未舗装の悪路だった。こんな道を7kmも走るらしい。原生林へハンドルをきる。悪路に進入する。
慎重にゆっくりと走る。えぐれた箇所をクリアしたと思ったら次は川底のような岩場が現れる。いつまで走っても道が良くなる様子がないので後悔した。しかし道が狭くて引き返せない。振動で腕が疲れる。またハンドルを強く握っているので手も痛い。途中少し道幅の広い箇所があったのでそこで引き返した。オフロードバイクでもないとやってられない。
写真だとそんな風に見えないが、酷かった。
舗装された方の道に戻り別の道を走る。廃墟らしきものを見つけたが入ることができない。ゴミ焼き場のようだ。他には目ぼしいものもなかったので下宿に帰った。
参道が藪になった神社や、焼却施設の廃墟があった。
寮母さんが居たので、罠の試験に合格しましたと言ったらおめでとうと言ってくれた。余計な荷物を部屋に置き、島唯一のイオンへ向かう。イオンは内地の立派なのではなく、元ダイエーか何かの寂れたものだ。特筆することはない。イオンはサーモンが安いので嬉しい。クニャにも出店すればいいのに。夜は1人で合格祝いをした。
好物のサーモンをまるかじりする幸せ。
翌朝、寮母さんに見送られて宿を後にする。細い路地から大通りへ…何か走行に違和感がある。端にバイクを停めてタイヤを押してみる。後輪の空気がかなり少ない。昨日の原生林の悪路でパンクしたのだ。
ネットで探すと遠くない場所にバイク屋さんが有った。しかも私のバイクと同じスズキだ。助かった。慎重にゆっくりと走り、何とか店まで行く。まだ閉まっていたのでシャッターの前にバイクを停めて待つ。やがて店主が出てくる。
こんなサイズのバイクのチューブは置いて無いと、一瞥するなり言われてしまった。同業者にも電話をしてくれたが、どこも無いんじゃ無いかな?と言う。
雲行きが怪しくなってきた。とりあえず従業員が来るまで待つよう言われた。やがて出勤してきた従業員は、見るだけ見てみる、と言うのでお願いした。藁にもすがる思いだ。
近くにクーラーの効いた観光案内所があるからそこで待ってて、と言われ、店を出た。
案内所は広くて涼しかった。もうすぐ旧暦の七夕なので短冊がたくさん吊るしてある。
全くだ。
最悪の場合、バイクは預かってもらってバスで帰らなければならない。観光案内所のお兄さんに乗り場と時刻表を貰った。それから事情を伝えてここで待たせてくれるようにお願いした。お兄さんは快諾してくれたばかりか、友人がバイク屋をしているのでチューブがあるか聞いてあげる、と言ってくれた。
まあ帰る手段は幾つもある。それに私は高校の三年間帰宅部に打ち込んで来たのだ。きっと大丈夫だ。
お腹が空いてきた。だが食事に出て、料理を注文したタイミングでバイク屋から連絡が来ても困る。大人しく待つ。
夏休みの真っ最中だから外には観光客が沢山いる。一方この観光案内所はがらんとしている。ぽつぽつと座っている高齢者たちはどう見ても涼みに来た近所の人だ。
パンク修理の可否が気になりスマホをさわっていても落ち着かない。外を通る人を見る。
シャツにネクタイ、スラックスにサンダルのサラリーマンが通る。彼は今パンクの心配をしていない幸せ者だ。小学生が自転車で通る。タイヤにはよく空気が充填されている様子でこちらもパンクの心配などしていないだろう。幸せなやつだ。派手な観光客カップルがはしゃぎながら通った。
…。
突然黒電話の音が鳴った。私のスマホだ。他人と被り倒している着信音だ。
登録していない番号なのでバイク屋に違いない。出てみると応急処置が完了したとの内容だった。案内所のお兄さんにお礼を言って案内所を去った。浮かれてスキップをしないよう細心の注意を払いつつ横断歩道を渡り、バイク屋へ。従業員のお兄さんにお礼を言いお金を支払う。あくまで応急処置だから近所のバイク屋でチューブとタイヤを交換するように言われた。何も刺さってなかったけど自分で抜いたの?と聞かれたので、原生林の悪路が怪しいと答えた。だがそれがいけなかった。
お兄さんは身内を原生林で亡くしていたのだ。その身内は何度も原生林へ行っていたのにある日迷って亡くなったそうだ。電波も通じない原生林の危険性をかなりたっぷりと教えられた。
その後、タイヤを刺激しないように注意しながらどうにか離島行きのフェリーに乗ることができた。
数日働けばまたすぐ本島へ渡らなければならない。今度はチェンソー講習だ。8月初頭、どこを切り取っても夏。
ただいま。