辺境にて

南洋幻想の涯て

死と蒼穹

注意:この記事には動物の解体の描写が含まれます。また、狩猟並びに動植物を食べる事の是非に言及するものではありません。

 本島に渡る船では、大抵山賊のお頭と一緒だ。今日帰ったらTウジ(Tおじさん)とヒンジャ(山羊)を捌くから来いと誘われた。

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 80歳を過ぎてもナンパをし、肉もたくさん食べる元任侠(?)Tウジは、私を可愛がってくれている。だから声をかけてくれたのだろう。多分。彼は私が猟の免許を取得することを薦めていてくれた人物の一人である。「おっちゃんの技を全部教えてあげるから」と、大変な訛り越しに言ってくれていた。そして、本当に私が免許をとったので、まず捌くのに関わらせようとしてくれているのだろう。

 Tウジはデイゴの集落の村芝居の「翁面」に似ている。風貌が似ているだけではない。どちらも遠い遠い昔から居る伝説だ。

 仕事を終え、また定期船で帰る。お頭もまた同じ船だった。それから廃校へは帰らず真っ直ぐアクトクに付いて行く。

 アクトクではTウジが待っていた。お頭が黙々と道具を軽トラに載せる。それから荷台に乗り、アクトクのさらに奥へ向かった。

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 私に狩りが出来るだろうか?

 解体を手伝う事にしてからの1日を、私は不安の中過ごした。未だに釣魚を殺す時でさえ少し抵抗がある。魚どころか木だって切られた傷を自ら治した跡をみれば痛々しいと感じるし、大根を引っこ抜いて煮れば一応は殺害だと思う。思うもののしかし彼らはヒトからかけ離れた生物なので、かわいそうだけどそれはそれ、で済んでいた。

 だが大型の哺乳類の解体など手伝えば、心が何か取り返しのつかない事になってしまうのではないか。畑を守るついでに肉が食べたい、それだけで狩猟免許を取得したのは浅はかだったのでは、と今更考え始めた。

 やがて一軒の廃屋だか作業小屋だかが見えてきた。

 そこには立派な雄のヒンジャが繋がれていた。彼は時折暴れたものの概ね静かだった。ただ疲れ諦めていただけかも知れない。お頭を手伝い前脚後脚をそれぞれ縛ってTウジの前に連れて行く。Tウジは錆びた包丁と慣れた手つきをもって彼の喉を突いた。赤黒い血がホースで水遣りをする時の曲線を描いて出る。包丁が何か探るように2、3度浅く深く往復する。

  ヒンジャの、その大きな顔の横に立ち見下ろす。空気の漏れる音と弱々しくメエと鳴く声。痙攣。

 この空気を漏らしてあえぐ彼はもう、だんだんその回数の減ってきた彼はもう、取り返しがつかないのだと思いながら見下ろしていたようだった。

 僅かな時間の後、痙攣も収まり静かになった。

 透き通った、もう命のない寂しげな目には、どこまでも広がった青空と、私のシルエットが映っていた。心のどこを探しても予期していた憐憫も罪悪感もまた嫌悪感もなく、これまでに感じたことのない新しい感情に支配された。この名前のないものは、茫然に一番よく似ていたが、違うようでもあった。感情の混合よりは無に近かった。

 器械的な現象として、彼の喉の穴から弱く空気が漏れた。眼球は動いていない。依然、知覚できる限界まで濃ゆい蒼空を映している。ビー玉を通して見た夏の空。水晶体に映った青空は、涙で潤っていたのか、本当の青空よりもずっと透きとおって濃く綺麗だった。

 毛を落とす。色々な方法があるそうだが、翁面は燃料タンクに接続したガスバーナーで焼く。お頭の無言の教唆で、私もヘラをとって焦げた毛を掻き落としていく。お頭は余程のことがない限り指示は出さない。私が仕事を察しようが察しまいが、どっちでも良いのだろう。いずれ私が出来るかどうかなのだ。乳白色の表皮が表れた。こんなに強い火なのに。意外なほど白かった。

 やがてバーナーが顔を焼いた時、皮膚か筋肉が縮んだのだろう。彼はゆっくりと眠るように瞼を閉じた。彼はこんな世界から居なくなった。私はそれを見たときほっとした。そして喉が乾いていたことに気が付いた。 命を奪う重さだの食育だのと言ったものはいざという時には逃散して不在だった。

 その夜眠りにつくとき、彼が最後に瞳の中に閉じ込めた青空を何度も思い出した。

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 「川近くへ運ぶぞ」と、ようやくお頭から指示があった。私は死んだ彼の立派な角をつかんで引っ張った。川淵でお頭は彼の腹をさくさくと裂き、両手で器用にはらわたを引き出した。どういう選りわけか聞かなかったが、お頭は内臓を捨てるものと食べるものに分けた。大腸らしき大きな内臓の袋を川縁に置いて割く。

 その袋は、4キロはありそうな緑色の泥を吐き出した。お頭は、サンダルと靴下が汚れるのも構わずそのどろどろを利き足で小川へ掻き落としている。

 見知った糞にはまだなっていないため、気持ち悪さは感じなかった。しかし少しだけ嫌な感じはあるようだった。

 大きなタライの中の内臓。向こうの小屋で翁面は空っぽになった肉体を切り分けている。

 腹を裂いて内臓を引き摺り出してからまだ数分。こんなに虫や菌だらけの、おまけに酷暑の、ただ活動するだけで危険な恐ろしい世界と生命は、あんな簡単に切れる皮のたった一枚のみで隔たれているだけだった。

 生なんてこの死の世界の浅瀬か何かに偶然引っ掛かっているのに過ぎず、死と生なんてとても対になった存在ではなかった。生は死の世界にあって、ただ目こぼしされているだけの微小なイレギュラーに過ぎなかったのだ。流れや流量が変わればいとも簡単に居なくなってしまう。

 ──お頭が、あまり鳴かなかったから良かったな、と誰に言うでもなく言った。

 夜の浅い眠りの中見ていたのは彼の眼だった。その水晶は、それ自身がその熱で融解してしまいそうな青い空と、燃えるような地上の深緑を生き、謳歌し、その中で罠にかかって死んだのだ。

 翁面に呼ばれた

脚を一本づつ運ぶ。

 投げて

お頭に教えられるまま手斧でぶつ切りにした。

夥しい蝿

 白い肉越しに軟骨ごと叩く。

「指を叩くなよ」

骨格は無視してスープの都合の良い大きさに        

「拳ぐらいによ」

叩きそこねて飛んでいった黄色い蹄を拾うため立ち上がる。

 

 どんな生き物だって死にたくは無いのに、自らの生存の為に他の動植物の死を必要としている。大抵はそうつくられている。

──私に狩りが出来るだろうか?

 アクトクのお頭の屋敷の前に戻り、ヒンジャを焼いて食べる。いつもと同じだった。新鮮なヒンジャは美味しかった。 夕暮れの空はどこまでも青黒かった。

 

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