山賊のお頭はいつまでもスペアタイヤ(わざわざ油性マジックで氏名を書いている)を装用しており漁船のような音を立てて走っている。早く替えるべきだと皆で進言しているのだがスペアタイヤの方が丈夫だから良いと言い張って聞かない。
朝食はじゃがいも1個半。海を渡ってまでスーパーへ行くのが面倒なので粘れるだけ粘る。
そして今日お頭とまた一日働くことになった。しかし朝言われた場所に行ってもお頭がいない。数十分後、いつもと違う銀色の軽自動車で現れた。遂にタイヤがパンクしたのだそうだ。だから言わない事ではないとここぞとばかりに皆で非難した。しかしパンクしたのはスペアタイヤでは無い別のタイヤだと居直る。
野苺?は見つけ次第食べる。味は悪く無いが腹の足しにはならない。
今日は一度お頭が木に潰されかける場面を見て肝を冷やした。林業は他の職種と比べても断然死亡事故が多いのだそうだ。一昨年もこの町で1人亡くなっている。
休憩中お頭は空師(そらし)になると言い出した。架空請求にでも手を染めるのかと思ったが高い木の上で作業をする資格なのだそうだ。そうすればさらに仕事が来るから取るのだそうだ。
私のいる密林の上から顔を出すとまた違う世界が見えるだろう。山師は空師に成れるのだ。だが私は森の中が気に入っているので空までは行けない。それに不安な気持ちもある。いつだって墜落の危険がある事を知っている。
資格が取れるところを探して講習の日程を訊いてくれ、といつも通り私に投げるので調べて電話をしたが繋がらない。そういえば今日は日曜日だな、と空賊のお頭は言った。
もう曜日の感覚も希薄になりゴミもよく出し忘れる。対岸の本島側の町にもお頭の荷物持ちで渡ったのを除けば長い間行っていない。あの港町も寂れてはいるもののまだ社会の場末ぐらいの体裁は保っている。生徒のたくさんいる学校も有れば役場もコンビニも有る。何より夜は町の明かりがある。
いつもより遅めに仕事を終え、帰って洗濯をする算段でバイクに跨るとお頭が待てと言う。今度はバッテリーが上がったのだそうだ。トンネルを通ると必ずライトを消し忘れるので私が黙って消しているのだが今回はうっかりしていた。
朝パンクさせた車をアクトクからサジョウホ間にそのまま停めてあるからバッテリーを外して取ってきてくれと言う。お頭といるとお使いミッションばかり発生する。工具が必要か確認をしたが手で外れると言う。疑念の塊になりつつバイクでそのまま向かった。
見落とさないよう注意深く数十分走り、車を見つけた。
スペアタイヤ…
バッテリーを引っ張ってみるが取れない。こうなると思った。腹立ち紛れに力任せに押し引きすると留め具と共にバッテリーは外れた。と言うかもげた。取り返しのつかない音が耳に残る。
もげたバッテリーを積みセソで待つお頭の元へと戻る。途中魔王と行き違った。チーズケーキをやるから寄れと言う。
お頭にバッテリーを渡し、明日の段取りを少し話し合って次はスュリの魔王屋敷へ向かう。洗濯はどんどん遠くなる。
静かな庭で午後の金色の雲を眺めながら待つ。チーズケーキのような色だ。チーズケーキはガトーショコラの次に好きだ。ちなみにショートケーキもチーズケーキと同じくらい好きである。そして全てに共通するのはなるべくシンプルな方が好きということだ。無駄に果物が乗っているとがっかりする。スポンジ部分に何か挟まっているなど言語道断だ。だがショートケーキのスポンジに苺が挟まっている場合は恩赦がでる。
魔王がケーキを持って出てきた。お前、見合いをせんかと言った。
突然すぎる一言に狼狽し、それを悟られまいと何か素っ気ない返事を返しケーキの箱を引ったくるようにして逃げ帰った。
帰路、色々な事が頭を駆け巡る。相手は一度会っただけで何やら色が白かったと言うことしか思い出せない。何かを持っていたその腕がこの地域の人には珍しいぐらい白かった。
魔王は、見合いという言葉を口に出すとき照れ臭そうに笑った。そしてそれとなく聞いてくれと言われたのにストレートに聞いてしまったな。とはにかんだ。
結婚に関しては諦めていた我が子に希望の光が差した、そういう笑顔だ。不器用な父のその胸中を思うと素っ気ない返事をしてしまった事に今更後ろめたさを感じる。イヤホンから音楽が流れていないことに今更気が付く。
私は
こんな辺境の、しかも廃校に隠れ潜み、もう後は刹那的に日々を生きるだけだと開き直っていたのに。不思議な事に私がどうしたいのかが私にはわからない。どうすべきかは解っているのだが。
普通に生きられる、おそらく最後の機会だろう。
校長室の脇の立ち枯れた木の周りで綻んでいた百合の蕾がいつのまにか咲いて対岸の町の方を向いている。