辺境にて

南洋幻想の涯て

会計、店の女

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 今年一番の引き潮の中、K丸は無事に接岸した。無事に接岸しているうちに桟橋の階段を急いで降り船に飛び移る。同時に船は後退し、彼岸のクニャの夜景へ向き直った。

 昼のクニャなら何度も歩いているが夜は初めてだ。厳密には去年の夏一泊した事があったがあくまで事故である。遊ぶ金もなく翌日も畑仕事だったので、町中華を食べて海の駅のベンチで寝ただけだ。決して煌びやかな体験ではない。

 それにわざわざ宿に泊まってまで遊びに行こうとも思わない。だからあの灯というものは私に無関係なただの夜景であり、一枚の絵に過ぎなかった。鄙びた港町と入れ替わり現れる、華やかな夜の都。その空気を空想して楽しむためだけに在るのだ。そしてその風景はこれまでに旅した色々な街の夜だった。

 船の照明が消え天頂に星の海が現れる。エンジンの回転数が上がり、騒音で会話もままならなくなる。桟橋が徐々に遠ざかり始める。夜風が涼しい。しばらくそのままで居る。

 轟音の中廃校を振り返ってみた。まだ11時にもなっていないのに灯りは一つも見えない。空の賑やかな星の海とは対照的に、地上はくり抜いた穴のような闇に塗り潰されている。それがために離島の輪郭線まではっきりと判る。街灯すら点いていないので本当の墨塗りだ。ベンタブラックだ。

 私はもうそこそこ酔っていた。最初の眠りの波に襲われ無言で船室に入った。船室にはすでに滝の集落の大男Mさんがいてやはり無言である。

 

 静まり返ったクニャに着く。トラボルタは船賃を多めに渡しているようだ。こんな時間に来てもらったからだ。

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記念すべき、初めてのクニャの夜。

 一軒目はサジョウホのおばあさんのやっている店に入った。自分達で作らなくても酒や料理が出るのはなんと楽な事だろうと思った。カラオケをした。みんな私の知らない歌をたくさん知っている。楽しかった。

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 二軒目は女の子のいる店に行こうというので、言われるままに着いて行った。ちなみにここではギャルという単語が死語になっていない。「ギャル系」ではなく昭和の言い回しの方のギャルだ。

 自分を指す一人称のワンは「吾」二人称のナンは「汝」に由来すると聞く。柳田邦夫の本で読んだ通りに畿内を中心とみた場合の「辺境」では古語がまだ生きている。でもギャルって。

 二件目の店。一人しかいないギャルはもう男性客についており、我々は男三人でむさ苦しく飲んだ。見兼ねたカウンターの60代ぐらいのギャルが来てくれた。ママというやつだ。Mさんやトラボルタはママと何か話し始めたがそんなに盛り上がっている様子がない。この二人はとてもシャイなのだ。

 私は他の客などが歌う歌に合わせて一生分ぐらい「イーヤーサーサ!」と叫んだ。しまいには女子がいないので男性客と話そうとアイコンタクトを送ったりした。さぞ迷惑だっただろう。ついにママまで我々を見限って去ってしまった。ネグレクトだ。

 そして3人で飲むなら店にいる必要もないとさっさと退店した。ほぼ3人で飲んで話してイヤササ言っただけなのに一万円近く請求された。損をした気分だ。まあ一円も出していないから良いか。

 

 トラボルタが知り合いを呼ぶ。トラボルタの勤める会社の寮へ送ってもらうのだ。クニャはこの間最後のタクシー会社が無くなった。だから「知り合い」が台頭した。夜飲む人や、病院に行く高齢者など皆助かっている。だから送って貰えば感謝の気持ちを渡す。

 ちなみに私には「知り合い」は居ない。彼らは離島には居ないようなのだ。そこで火星人に期待を寄せたのだが失敗した。

 それから、こんな時間でも営業して下さる唯一の商店、ファミリーマート様に寄って酒を売っていただく。もうジョイフルも閉店したのでこの町にある大手チェーンはこのファミマとマツキヨだけだ。深夜の売り上げなんかほぼ無いに等しいだろうにちゃんと24時間開けてくれている。

 コンビニがこんなにも有難いものだとは。内地にいた頃はなんとも思わなかったのに。しかもギャルまで居る。明らかにさっきの店よりたくさん居る。撤退しないように地域で大事にしていこう。

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 夜の町はたったこれだけの体験で終わってしまった。一番感動したのはコンビニだった。

 

 やがて駐車場にトラボルタの「知り合い」が現れた。トラボルタの会社寮へ連れて行ってもらう。寮は大変なボロだと聞いている。私は廃墟マニアなので楽しみだ。そして建物の特徴と入り方も覚えておこう。離島へ帰れなくなった時に貸りるのだ。場所さえわかればこっちのものだ。笑顔で車に乗り込む。