ティラダは0.2フィートもある硬い殻を持っている。その隙間から覗く目は決して瞬きをする事はない。旧暦の3月3日はこのクリーチャーを捕まえに行かなければならない。そうしなければ烏になってしまう。
最近、ようやくイキャを釣った。シーズン中に一匹はと思っていたので良かった。
釣れもしなかったのに締め方の予習とシミュレーションだけはしっかりしていたので手際良く完遂した。必死にコンクリートに同化しようとしていたイキャが白くなっていく。
元々ご飯を残さないようには心がけていたが、こうして自ら殺すようになると、動物であれ植物であれ極力無駄にせず食べなければと改めて思う。そもそも食べられたくなんてなかっただろうがそこは目をつぶる。
翌日、イキャを食べたがっていた魔王に持って行った。
「これはナシブリでイキャではない」と魔王は言った。イキャ=イカだと思っていたのだがマダ(イカ墨)も食べられるものがイキャだそうだ。
悲しい。
ティラダは、その片手に切れ味の悪い鋸を持っており、幼い頃これを振り翳し威嚇された記憶があるのだがそれは少し怪しい。
林業T社長の最後の仕事も終わり、T産業は解散し、今私は農業に専従している。現金収入がないと困るのでそろそろ稼ぎに出なければならない。スュリの隣、サジョウホの製糖工場から期間限定で声がかかっているのだが魔王が何故か渋る。
キツいぞとか暑いぞとかエッチ虫がいるぞとか心配して出さない。林業バイトを始める当初もこんな事を言っていたが、今では数カ所から声がかかるぐらいには出来ている。頭脳労働でさえなければ、大抵のことはやればそれなりに出来るのだ。多分。
幼い私のドラゴンはティンダリにやられながらも育って来た。タンカンの方は魔王曰く栄養失調だそうである。この2つの畑の傍に私の楽しみ用として赤と白のグレープフルーツをそれぞれ植えた。
触手を伸ばして何にでもしがみつこうとするドラゴン。
そうして屋敷や畑で色々な作業をして過ごすうちに旧暦の3月3日がやってきた。
この日は「サンガツサンチ」と言って「イザリ」をしなければならない。そうしなければ冒頭に記したように烏になってしまう。おかしな罪にはおかしな罰が待っているものだ。
「サンガツサンチ」は一年で一番潮が引く。普段は海没しているところも歩けるようになる。そこを歩きながらタコや貝など食べられるものを拾う。これを「イザリ」と言う。おそらく漢字では「漁り」と書くのだろう。
校長室前の海も遠くへ行ってしまった。
この日は休日になっている会社が多く、最近までは学校も休みだったらしい。我々もサンガツサンチは休んだ。烏になっては困る。
一年で一番の引き潮。
サンガツサンチは快晴だった。空はもう初夏の色を帯びていた。
集落の外れの川から魔王と共に浜へ降りる。岩場は滑るので林業用の山足袋を履いてきた。
早速エッチ虫が飛んでくる。帰りたい。海に膝まで入る。エッチ虫は砂浜から湧くそうなので逃げ場はない。潰しても潰してもあちこちにとまるエッチ虫に悪戦苦闘しながら、歩けないはずの海を歩く。敵が耳に入った時は飽きて出て行くまでなす術がない。地獄だ。
しかしわざわざ虫の空襲を受けに海へ降りた訳ではない。獲物を拾わねば。膝少し上をせわしなく往復する波。その下の海中へ意識を向ける。私は主にティラダを狙う。酒のつまみにするのだ。袋いっぱい獲って早く逃げよう。
しかしいくら歩いても少しも見つからない。昔弟と来た時はあっという間に籠いっぱいに採れたのだが今は何も居ない。それどころか他の生物も見えない。一度だけ海蛇が我々をからかいに来ただけだ。
空振りで帰って半分だけ烏になっても困るので、浜に沿って海を歩き続ける。潮が引き切っていつもと風景が違う。どこか知らない所へ来たような感覚になる。海面に珊瑚が顔を出し、水たまりのような浅い所にコバルトブルーの熱帯魚が不思議そうに集まっている。
大昔の人が作った魚のための罠の横を過ぎ、スュリからどんどん離れ進む。
だが何も居ない。
浜は岩場になる。そこからは海から上がって進んだ。足下の岩の隙間にようやく貝を見つけたのでずだぶくろに入れた。このまま獲物が少なければこの貝は海に返そう。
昔、魔王が少年だった頃の釣り岩「アヤダク」で折り返した。魔王は飽きて来たのか早足になり私を置いて帰ってしまった。
風が出て来たのでエッチ虫も居なくなった。私は一人になった。
足元の夕方の海は少し琥珀がかり、青みを失ったためなのか昼よりずっと透明に見える。液体になったガラスか水飴に立っているみたいだ。
時折波が止まると水の存在は消え、魚は鳥や蝶になる。
珊瑚の隙間を縫って歩く、年に一度の奇妙な散歩道。
白波がたてば砂に濃い影を落とす。その強いコントラストは水の透明である事をさらに主張する。コバルトブルーの熱帯魚が珊瑚の周りで遊んでいる。静かだ。獲物の事も忘れ独り春の海に立ちつくす。
やがて風が止み、再びエッチ虫が集まって来た。アブまで連れて。地獄だ。もう無理だ。終わり終わり!
──我々は、かつて海中に繁栄していたと言うクリーチャーにあと一歩のところまで迫った。だが彼らは、まるで我々をあざ笑うかのように豊かな海のヴェールに身を隠してしまった。しかし我々取材班は諦めない。この豊かな海のどこかに今も彼らは存在しているに違いないのだ。もうそれで良い。解散解散!
ティラダ。