辺境にて

南洋幻想の涯て

リザードマンが呉れたもの 下

 私がこれまで釣ってきたものは、ガティン(アジ類)を除けばあとは珊瑚(刺胞動物の集合住宅)、軍手(軍手)などの魚類というよりは雑貨類だ。基本的にはゴミを釣るのが得意だ。だからこんなに手応えのある魚は初めてだ。

 泳がせ、引き、岩に逃げれば出るまで待つ。ごく短い攻防ではあったがこれには新種の愉しさがあった。

 やがて引いても立ててもただ重くのっぺりとした手応えになった。それはもう浜まで揚がったからだそうだ。その頃には、もういつのまにか夜の帳はこの世界を覆っていた。

 ランタンを片手に頼りない梯子をたわませデッキから浜へ降りる。

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 獲物へ向かう。先を早足で急いでいたトラボルタが、喜色を帯びた声で叫んだ。

 「タマン!」

 波打ち際には形の良い奇麗な色の魚が暴れていた。「ここで締めます」と言うのでポケットから折り畳みナイフを取り出し渡す。

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 「リザードマンからの贈り物じゃ」

 「ホントそうス!」

 それからトラボルタが何か説明しながら鰓や内臓をテキパキと切り、引き抜き始めた。説明はいいかげん酒が回っておりもう頭に入ってこない。せめて彼に明かりをと思い、ランタンを獲物の近くに置いた。鰓や内臓を失ってもこの魚の勇者はまだ暴れ、ランタンを二度も蹴り倒した。


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 廃校に持ち戻り、更に解体され、半身に捌かれてなおもタマンは抵抗を試みた。


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 サイズは58.5cm。半身を刺身と焼き魚にして食べた。残った半身は明日、魔王にあげる事にした。確か来客だと言っていた。

 

 味をしめ、さらにリザードマンにおかわりをお願いし柏手を叩く。酒もまわり、お願いは要求へとどんどん横柄になる。「リザードマンもう一回!今のもう一回!」「頼む!お願いします!」それから二度鈴が鳴った。しかし釣り損ねた。


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シシ、タマンはもちろん、トラボルタ考案のフルの葉を豚肉で巻いたものも美味しかった。

 やがて夜は更け、炭の明かりも酒も尽きた。夜の凪の海。私は校長室に戻り、トラボルタはデッキで毛布にくるまり眠った。

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 夢の中で風のうなりを聞いた。魚の勇者が暴風の中を泳いでいる。ダライアスみたいだ…。ほほ笑んで寝返りをうつ。錆びて閉まりにくい雨戸が、誰かに蹴りつけられるような音を立て揺れる。

 ──ああ、リザードマンが怒っている…。

 

 朝。片付けをするために外へ出る。台風の後のように物が散乱している。トラボルタは居ない。帰ったらしい。まだ風が強い。ある程度片づけてから眠ればよかった。ビール缶が校庭にまで散らばっている。校庭管理の身としてあるまじき失態だ。拾い集めるのに苦労した。次にデッキから海を観察する。

 集落作業に皆勤の私は浜の掃除ももちろん皆勤だ。また、散歩の人がついでに漂着ゴミを集める事もある。こうしてみんなできれいにしている海だから汚すなんてとんでもない。

 風向きが幸いし海に何も飛ばなかったようだが、念の為にもう少し明るくなってから再度見てみよう。トラボルタからラインが来ていた。スリッパを失くしたとある。裸足で帰ったようだ。周囲には見当たらない。次第に明るくなってきた。

 

 「れんと」を献杯していた事を思い出し、防波堤の上を見る。何故か小さく軽いお猪口は無事なのに「れんと」の瓶は海に落ちている。八戒でたぐり、瓶を掬い上げる。「れんと」の瓶は空になっていた。社長が飲んだのだろう。

 …林業社長。少年の頃から林業界に生きた、悪いリザードマン。

 クニャの美味しい定食屋を私に教え、いつも奢ってくれた。このままタダで全メニュー食べようと思ったのに。…酒癖はそんなに褒められたものではなかったな。その盟友と同数ほどには敵だらけだった。いや、敵の方が圧倒的に多かっただろうか。

 それから食べられる植物、島の言葉、木の倒し方とその理屈、ワイヤーの編み方、色んな道具の使い方。教えてくれたそれらは私の一部になった。

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 夜の帳があけていく。空の「れんと」と一緒にデッキに転がる。私が一番美しいと思う明けの空と海。それらを軽い二日酔いのなか一人眺める。

 

 

 ──ああ、トラボルタのスリッパが泳いでいる。

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 本当に、次からはちゃんと片付けをしてから眠ろう。小さい方の竿を取り、スリッパに向けて振りかぶる。ゴミを釣るのは得意だ。