時々、廃校の屋上に登って海を観る。海の向こうに本島南端の港町が見える。
その港町はクニャという。付近一帯の島々の中枢で、役場や各種組合の事務所も在る。夜になれば町の灯りも観ることが出来る。少し強目の風が吹けば消えそうな心細い夜景だ。それでも夜景は夜景である。
海の向こう、本島の町の灯り。廃校屋上から。
私の住む離島側は夜になれば真っ暗になる。海を挟んで死の世界と生の世界のようだ。
本島南端に位置するクニャの港町は確かにこの地域の中枢だ。しかしそこでも人は減り続けている。本島全体がそうであるように。
とうとう森林組合は解散になった。農協も、クニャよりはるかに栄えている北のナディ市へ引き上げて行くそうだ。
人が居なくなるにつれ色々なものが維持できなくなっていく。昨日通れた道が今日も通れるとは限らない。
この離島の夜、出歩くのはハブ捕り達だけだ。街灯も夜の9時か10時には消灯してしまう。
夜の静寂の中、月と星だけはまたたく音の聞こえそうなほど頭上で輝いている。
また、星の軌跡を観ようと思った。前回の失敗を糧に今度は綿密な作戦を立てる。先ずは月の軌道を調べ、と思ったがいざとなればやはり面倒になった。そういうのは向いていない。
すでに夜だから今から遠くへ行く気も起こらない。廃校の敷地内で撮ることにした。
校庭はまた草が伸びてきた。梅雨が明けたら校庭管理をしよう。あまり外を歩くとシシや毒蛇たちに出くわして危険だ。窓からみえる星、というのを思い付き校舎に入った。
図書室の横を通り突き当たりの音楽室まで来た。
しばらく辺りを見回し、音楽室の床から窓を見る様にカメラを設置する。後は待つだけだ。
図書室で本を読む。代本板もあるが草むらを歩くのは最小限にしたいのでそこで過ごす。そういえば、高校生の頃図書委員だったな。子供の頃は病弱だったからずっと病室で本を読んでいた。
1時間半程経ち、カメラを回収に向かう。私も幽霊としてしっかりと映り込んだ。
百数十枚撮った写真を一枚に重ね合わせる。どうも思ったのと違う。窓一杯の星、とはいかなかった。
最後に校舎に登りクニャの港町を撮った。雲が出ていたこともあってか星は思いのほか写らず、寂しさが却って強調されただけのように思えた。もっと長時間撮り続けるべきなのだろうか。
夜空の寂しさを和らげようと現像設定をあれこれと触ってみる。今度はおぞましい感じになった。
海を挟んで死の世界と生の世界のようだ。