はぐれ猟犬たちは吠えたり唸ったりはしない。敵意は今の所ない様子だ。奥さんが怖くて通れないと言うので私は犬たちの注意をひき、夫妻から離れた方へと誘導した。夫妻にはその隙に帰ってもらった。
猟犬たちを引きつけたは良いがそのままどこまでも私に付いてくる。そして車が通ると何故かじゃれつきに行き、轢かれそうで危なっかしい。だから放って帰る事もできない。
そういえば昨日と今日、カチョウホの方で猟をしている様子だった。私が校庭管理をしている時、峠から銃声は聞かなかったものの、犬の吠える声と首の鐘の音が聞こえていた。
首と言えば最近初めてくびの煎じたものを飲んだ。薄いお茶という感じで癖はなかった。
おそらく彼らがその犬だろう。カチョウホ方面へ集落を出れば猟師が彼らを探しているかもしれない。とりあえずそこまで連れて行ってみよう。アイコンタクトが良く通じ、大人しくとぼとぼと付いてくる。かわいい。
私は犬が好きだ。しかし困った事に犬アレルギーがある。あまり長時間犬を引き連れていると20年ぶりぐらいで喘息が出るかもしれない。
集落のカチョウホ方面出口に着いた。しかしそれらしい人も車も見えない。猟師が猟犬たちの迷子に気がついているかさえも定かではない。猟犬の一頭は目が赤い。彼も犬アレルギーだろうか。もしそうなら早く解散すべきだ。しかしどうすればこの状況が終わるのだろうか。あまりに困ったので人生初の110番に電話をかけた。
電話はワンコールでつながり男性が出た。想像していたよりものんびりとしたトーンで、事故ですか事件ですか?と聞いた。のんびりと話すのは通報者を落ち着かせるためだろうか。喘息発症へのカウントダウンが始まったかも知れない私には事件だが、客観的にはそうではないだろう。そして事故でもない。
どちらでもないのですが…と恐縮して事の次第を説明した。電話口の警官は迷惑がるでもなくやはりのんびりと話を聞いてくれ、とりあえず警官を一人向かわせてくれると言った。もう帰っても良いらしい。
日が暮れる前に校庭の作業終了写真を撮っておきたい。その時に雑な箇所が見つかれば仕上げも必要だ。校庭に置いてある残りの焼き芋も食べたい。帰校しよう。
しかし今目を離して猟犬たちが車に轢かれたら困る。さらには派遣された警官も困るだろう、そして猟犬たちも困る。ついでに猟師も困るはずだ。仕方がない、やはり警官到着までは犬たちを見ていよう。
イヌリーダーになった。
猟犬たちはわざわざ道の真ん中を歩いている。しかも歩くのが相当遅い。たまに通る車は私の合図もあり気がついて徐行してくれるが、もし目の前で轢かれでもすれば事故と事件にランクアップだ。だが首根っこを掴んで引っ張って猟犬たちの怒りに触れても堪らない。
そうだ校庭に連れて帰ろう。ついでに焼き芋を食べてしまおう。踵を返して廃校へ向かう。それにしても歩くのが遅い。時々かがみ込んで気を惹いたりしながら騙し騙し連れて行く。
一旦離れてから呼べば走って来るかも、と思いついたので50mほど置き去りにしてみた。そして振り返り呼ぶ。名前がわからないからおいで!来い!と言ってみた。しかし彼らは決して走らない。大振りに手招きをしたり柏手を打ったり道路を叩いたり色んな動きで意図を伝えようと頑張った。背を向けて走るのだけはやめておいた。
そして腕をどうかして振った時、2頭は同時にぱっと伏せた。今のは待機の合図だったのだろうか?そしてそこから動かなくなってしまった。道の真ん中で…。
困っていると犬たちの後ろから黒い車がやってきて、彼らの横に停車した。運転席から痩せた男性が降り、そのまま素早く後部座席のドアを開ける。飼い主だろうか?車に向かう。
後部座席から出てきたのは新しいビーグルだった。
そしてビーグルを追加した男性はまた素早く後部座席のドアを閉め、運転席に乗り込み車を発進させようとした。意味がわからない。急いで声をかける。
男性は飼い主ではなかった。ここへ来る途中の峠道で一頭のビーグルを見かけた彼は、車に轢かれそうだから保護したと言う。しかしどこへ連れて行くべきか見当がつかず、やがて道路の真ん中で伏せている二頭の仲間を発見し、そこへ下ろしたのだそうだ。
私も今似たような状況で保護し、警察の到着を待っていると説明した。良かった、じゃあよろしくと男性は行ってしまった。
追加ビーグルは全然言うことを聞かない。旧ビーグルたちは道の真ん中から動いてくれない。仕方がないから私もビーグルたちの間に突っ立って、飛ばして来る車を減速させる。追加ビーグルは近くの藪に消えてしまった。誰も言う事をきかない。
結構間の抜けた光景であるらしく、運転手たちは笑いながら通り過ぎて行く。なんて日だ。
10分程すると、カチョウホ方面から一台の軽トラがやってきた。荷台に檻を積んでいる。
軽トラは路肩に乱暴に止まり、運転席からいかにも猟師然とした髭男が現れた。彼は牡蠣のように道にへばりつく猟犬たちの首を掴み、荷台の檻にてきぱきと収納した。もう一頭は?と聞かれたので藪を指差した。ありがとね、と言われたので今度こそ私は帰った。
校庭のブランコの近くに置いてあった焼き芋は全て烏に食べられていた。
その時、尻ポケットのスマホが振動した。悲しみで涙のにじむ目で画面を確認する。表示された知らない電話番号の、その末尾の4桁が0100、おそらく警察だ。烏め…法の裁きをうけさせてやる…。