辺境にて

南洋幻想の涯て

馥郁たり魔眼スープ

 眠りの波に取り残された昼下がり。私は再び立ち上がり山の方へと歩き出す。今度こそ魔眼を見つけるのだ。

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 周囲を見回す。林業仲間や幹部たちはそれぞれの車両や地面など思い思いの場所で眠っている。集落内は相変わらず静まり返っており、見える範囲内には誰もいない。

 

 今日の昼休みはフレンドリーな幹部に魔眼スープを持ってきた。林業仲間Mさんも味見をしたいと言ったので彼には私の分をあげた。二人は美味いと喜んでくれた。料理が上手だと褒められたので、ずっと一人暮らしですから、と照れ隠しをした。また魔眼を呉れたら作ってきます、と付け加えた。

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 フレンドリーな幹部は早速探しに行こうと言って腰を上げた。先月復職した寡黙な幹部も同行し、私を含めた3人で魔眼探しに集落の奥のその先、山裾の林を目指す。

 休憩している広場を離れると用水路へ行き当たった。橋を渡り山の方へ曲がる。四ツ辻の家の一軒からテレビの音が聞こえる他は人の気配がない。

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観光客向けなのか、案内板が所々にある。

 この島の大抵の集落は、人の居住している家よりも空き家の方が多いのではないだろうか。

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 山に向かって歩く。右手にある舗装された用水路が未舗装の川になる。まもなく林に入った。

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 そんなに山深くへ入る必要はないらしく、里から数十メートル進んだだけでもう川淵に降りた。皆で辺りを捜索する。しかしここには魔眼どころか有用なものは何も無いようだ。

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 手ぶらのまま探索を終え、また車両を停めてある集落の広場まで戻った。幹部たちはそれぞれの車両に入って休み始めた。私も公民館傍のコンクリートの上へ、リュックを枕に横たわった。だが、睡気は引き潮のまま満ちゆく気配がない。目を覆っていたバラクラバを引き下げ、冬らしくなってきた雲を眺めた。雲はあちこち大きく破れてそこから青空が覗いている。

 海で魔眼を貰ったのは昨日の事だ。

 

 休憩中、浜に降りていたフレンドリーな幹部が私を呼んだ。マガンじゃ!ダイバン(大きい)よ!と言っている。道端に座っていた私と寡黙な幹部はガードレールを乗り越え、1メートル少々下の白い砂浜へ飛び降りた。フレンドリーな幹部の元へ急ぐ。

 

 彼の指差す方を見ると、甲羅が20cm程の蟹が波打ち際の少し深いところを泳ぐように這っていた。

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 マガンと言うのは蟹である。マの意味は分からないが、クチガンが平たい海老なので、ガンは蝦や蟹の意ではないかと思う。上海蟹に近縁だそうだ。

 

 道や川でしか見た事のないマガンが海を遊泳している。ふわふわと楽しげに歩くのが面白く、また捕まえる手段も思いつかないので、深みへ行くでもなく浜へ上がるでもないマガンに並び浜を歩いた。

 捕獲を諦め見送ろうとしていると寡黙な幹部が突進し、マガンを器用に浜へ蹴り上げ捕まえた。持って帰って食べれ、とそれを私に呉れた。

 マガンは車両の脇のアスファルト上に置かれた。しかし持って帰る方法が無い。ポケットにも入らない。これに挟まれると指がちぎれると言うので掴む事すら恐ろしい。そうして手を出し兼ねていると林業仲間Mさんが糸で器用にマガンを縛り、シャックルなどの入っていたバケツに入れてくれた。

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 それからは休憩のたびバケツを覗き今日の晩御飯の安否を確認した。途中から動かなくなった。


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 林業を終え、畑仕事も済ませ、夜の廃校に帰る。マガンは動かない。死んでいるものは食べない方が良いと聞いていたので長らく観察をした。

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 僅かにも動かない。まぶたを開け瞳孔を観ようとしたがどちらも無かった。脈は元から無いようだった。だが今日の昼は生きていたものだから大丈夫だろう。

 水から煮ると言うのは少し残酷に思うので、熱湯に入れて一息に殺す事にした。いずれにせよ殺すのだから、食べられる彼にしてみれば残酷は同じ事だろうが。

 煮立った湯に足先を浸けた瞬間、動かなくなっていた彼は暴れ、片側の脚を全て自切した。一瞬気が引けたがもう今更だからそのまま湯に入れ、少し赤くなったぐらいで引き揚げた。後に聞いたが甲殻類は酔い締めと言って酒で締めるそうだ。今後はそうしよう。

 その湯は捨て、全体をタワシで綺麗にして改めて調理を始める。はじめは洋風スープにしようと思っていた。しかし幹部たちからは、出汁を活かして味噌汁にすべきと勧められている。

 今夜の気分である洋風スープと定番だという味噌汁。少し迷ったが、初めてだから素直に味噌汁にする事にした。

 死後この蟹は細菌まみれになるそうだからよくよく煮た。川で獲った場合は、数日泥を吐かせなければならないと聞いた。また出汁をよくとるため、金槌で甲羅を割るのが良いとも教えられた。出刃の背で強く叩くと意外に甲羅は薄く、陥没し砕けてしまった。

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 湯気から沢の土と言うか苔の臭いと言うか、川臭い、とでも言うような臭いを感じた。もしかしてあんまり美味しくないのかも知れない。あとは火を止め味噌をとき入れ完成だ。特記するとすれば先述の川臭さが心配になったので、水に料理酒を入れたり味噌を濃いめにしたりした事だろうか。他に乾物で出汁はとらず、マガンの風味が判るようなるべくシンプルに作った。

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 椀によそい飲んでみる。心配していた臭いなど無く、それどころか良い出汁が出ていて中々に美味だった。身の方は食べるほども無く、爪のところに僅かにあるのみである。その僅かなものは甘くて美味しかった。

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 フレンドリーな幹部に写真と感想を送信した。飲みたいと言うので、翌日は幹部の分と私の分、スープジャー2つ持って行く事にした。

 これからマガンの山降りの時期だそうだ。こんなに美味ならまた捕まえなければならない。翌日もまた探してみよう。鋏に気をつけて。

 汁物で暖まったのかその夜は深く眠れたような気がする。

 

 

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 眠りの波に取り残された昼下がり。私は再び立ち上がり山の方へと歩き出す。今度こそマガンを見つけるのだ。

 マガンスープを作ろう。