辺境にて

南洋幻想の涯て

化け魚

注意:この記事には魚の血と内臓が出てきます

 19時過ぎにアクトクに着いた。辺りはまだまだ明るい。もはや友人の一人になった野良ビーグルが出迎える。


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 因みに前回の路上肉の時には凶暴な方のビーグルとも仲良くなった。繋がれているから吠えていただけで別に凶暴でも無かった。ついでに猟犬でも無かった。別のビーグルと勘違いしていた。

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19時半になったがそれでもまだ明るい。

 

 完全に陽が落ちるまで舟は出さないそうで、しばらくは準備などをして時間を潰した。

 


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 ようやく陽が暮れ、護岸が城壁の様に囲んでいるアクトクの湾内へ、舟を出す。

 海への斜面にはノリが生えており、立っていられないほどよく滑る。靴下で歩けば滑らないと教えてもらった。

 そしてお頭と小さな手漕ぎボートに乗り込み漕ぎ始める。

 舟底に水が溜まっている。

 急にお頭のボロボロの車が思い出された。この舟は大丈夫なのだろうか。早速陸地が恋しくなった。

 城壁の切れ目、船の出入り口には小さい灯台の様な物が左右に一つづつ建っている。おそらく船舶から見て左右を一目で区別するためだろう、それぞれは赤と緑に明滅している。

 その間を通り抜け、沖へ沖へと舟を漕ぐ。

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 アクトクの湾、赤と緑の灯台は随分遠くなった。お頭はこの辺りが良いと準備を始めた。昔は素潜りと言えば水中銃であったが、今は取り締まりが厳しくなった。魚はかなり接近してヤスで突かなければならない。だから昼行性の魚の寝込みを襲う。

 真っ暗な海を覗く。やはり不気味だ。お頭は勿論平気な様子で腕にライトを装着し、そのままためらう事なく暗い闇へ飛び込んだ。舟のバランスが崩れたのでひっくり返らないように腰を落とし、重心を低くする。

 

 そして一瞬の間があった後、幻想的な珊瑚礁が私の眼下に照らし出された。

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 底の見えない沖かと思っていたが、この辺りは珊瑚が隆起して浅くなっている様だ。不安な気持ちで見ていた底知れない暗闇から、こんなにも美しいものが浮かび上がってきた。

 不意を打たれ、感動の余り動悸がした。こういう経験が偶に有る。私は少し心臓が良くないからその為かも知れない。

 だからうっかり感動しないように気をつけなければならない。御来光なんかをみて、絶叫と共に心臓が破れて死んだりしたら戦後最大のミステリーと言われてしまうだろう。

 しかしそのドキドキする光景の中にお頭のシルエットが含まれている事に気がつき、悔しいと言うか、残念と言うか、勿論お頭は何も悪くないのだが。オールで沈めれば流石に怒るだろうか?…いや、考えてみればお頭が光源だから押しやれば何も見えなくなる。やめよう。


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私が一人で感極まったり溺水させようとしたりしている間もお頭は獲物を探している。

 

 戦後最大の危機を脱したお頭は辺りを忙しく泳ぎ回っている。それをぼんやりと眺めていて大変な事に気がついた。舟とお頭がロープで繋がっている。

 私を乗せた舟を泳いで引っ張りながら漁をしている。朝から夕方まで日雇いに出ていたのにこの人の体力はどうなっているのだろう。モンスターだ。オールで押し込んでも引きずり込まれるだけだ。

 お頭が舟に近づき、岩のような物を投げ込んだ。中身の入っていない夜光貝の殻だった。飾りにでもするのだろうか。

 次はサーモンかネギトロが良かったが、三角の貝殻が飛んで来た。やはり死んで中身が無い。お頭はきっと貝殻が好物なのだろう。自然界でも珍しい部類だ。

 それから暫くは何も獲れない様だった。少し退屈したので夜空を見上げると星の海があった。足元には浅い海で青白く浮かび上がる珊瑚礁。すっかり夜の海への恐怖心も薄らぎ、安心感から少し眠気すら感じ始めた頃、私の前にまた何か飛んで来た。

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 イェラブチだ。魚の胴にインコの頭がついたキメラの様な不気味な魚だ。無闇に食べれば祟りに遭いそうだ。赤や青、黄色と様々なカラー展開をしているがそれが余計にインコみたいである。

 見た目は苦手だが白身で美味しい。食べた人は一定確率で死ぬ。ヤスで突かれた部分が痛々しい。実際痛いどころではないだろう。祟りに遭いそうだ。

 急に緊張感が出てきた。密漁ではないのだが、密漁の夜、といった雰囲気だ。

 今際のきわで暴れるので血が飛んでくる。鬼気迫るものを感じ、オールで押しやった。暫くすると動かなくなった。今度は私の後ろにまた何か投げ込まれた。サーモンだ。

 

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 イェラブチだ。

 さっきよりも一回り大きい。内臓がはみ出たまま暫く暴れ、息を引き取った。こういう時、〆る、という作業をして介錯してやるべきなのだろう。しかし心得がないから却って苦痛を与えてしまうかも知れない。

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 小さい舟はあちこち血だらけになった。お頭は無限の体力で、輝く珊瑚礁を元気良く泳ぎ回っている。

 突然息を吹き返したキメラ魚たちが暴れ出した。心臓に悪い。陸地が恋しい。

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 出港から二時間程の漁だった。私と舟を曳いてお頭は頑張った。だが今夜は海が濁っており不漁との事だった。祟りだ。

 帰り掛け、小さい方の祟りと夜光貝の殻を持って行けとお頭が言う。私は何もしていないからと断ったが、良いから持って帰れというので終いにとうとう貰った。

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 魚の捌き方が分からないので、本を見ながら捌いた。下手だから身が余り取れなかった。捌いた肉は、キッチンペーパーで包んで数日寝かす。こうすると旨くなると聞いた事がある。冷蔵庫へ入れた。

 


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 その後の仕事中に薬草とミングリを見つけたので、夕食にイェラブチ天丼を作る事にした。

 冷蔵庫から出してきたイェラブチはキッチンペーパーに酷く色移りしている。一体どういう魚なのだろうか。

 


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 天ぷらは初挑戦だったがまあまあ美味しかった。狩猟採集した食材で作る料理。こういう時にはささやかな幸せを感じる。祟りがありませんように。