辺境にて

南洋幻想の涯て

罪の果実

 今年も町の海峡を会場にシーカヤックラソンが開催された。私の住むウシキャク集落は補給ポイントだ。桟橋に集まり集落総出で応援する。

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桟橋に出したテントと長机。集落の備品。

 木工棟梁はYテレビの偉い人だったためか、こういう場での動き方が玄人っぽい気がする。どこがどう、と聞かれれば困るが。実況の真似事をしたり周囲の選手とどんどん友達になったり三線を弾いたり、水を得た魚とはまさにこの事である。

 一方私は桟橋の下に係留されている船に乗り、休憩に寄ったカヤックを捕まえていた。選手は時間のロスを気にして、カヤックに乗ったままお茶を飲んだり素麺を食べたりする。その間流されないように捕まえておくのだ。

 子どもたちが海で泳いでいる。楽しそうだ。私も泳ぎたかったがいい歳をして顰蹙を買いかねないので我慢した。やがて良い事を思いついた。海に入ってカヤックを捕まえれば良いのだ。桟橋の階段を降りて海に入った。

 平泳ぎや犬かきで泳ぎ回る。とても気持ちが良い。その後は時々来るカヤックを子どもたちと捕まえながら、合間にはしゃぎ回った。ふざけた少年が私の背にしがみついたのでそのまま泳いでやった。泳力に衰えはないようだ。とても楽しかった。

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ずっと海にいたので写真は無い。

 夕方、集落の打ち上げでバーベキューをする。手足に湿疹が出来ている。見えないがおそらく背中にも有るようだ。掻いたら血が出た。

 「何故か海に入るとアレルギーが出るんです」と誰に言うでもなく言うと「そういう人はたまに居るよ」とAさんが言った。Aさんによると、海中の目に見えないゾエア幼生(甲殻類の赤ちゃん)が、そのトゲトゲしたデザインのせいで皮膚に刺さり、それがアレルギーを引き起こすのだそうだ。

 なるほど、確かに私は和歌山で何度かダイビングをしたが、アレルギーにはならなかった。何故この離島の海だけがダメなのか不思議だったが、そういう事か。それから男衆と確か9時ぐらいまで飲んだ。

 翌日、月曜日。林業を終えて畑へ行く。魔王から「水やりは日曜も関係なく毎日しろ」と小言を言われる。面白くない。自分の子どもは十年ちょっとしか世話しなかったくせに。水やりをしながら昨日の遊泳を思い出す。畑さえなければこの南の島を楽しみながら暮らせるのにな、と思う。


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友達が釣った色々を一緒に食べた。蛸の脚がいつまでも脚だけで生きているので、ゴカイを食べているような気持ちになった。他ナシブリ、ガティン。

 何故好きでもない畑をやっているのか。

 初めは離島へ渡ったら老魔王をみながら郵便配達でも、と思っていた。しかし委託業者しかないといわれたのであきらめた。他は肉体労働でお前には無理だから農業をせんか?と誘われた。確かに魔王がせっかくそれなりの規模でやっている畑が、彼の死で無くなってしまうのは勿体無いと思い、その口車に乗ってしまった。

 親族は罠だと止めてくれたのだが、私は少しでも親を信じたい心が残っていた。ほとんど人生を一緒に過ごすことのないまま年をとった、父の語る理想の楽園生活。自分のペースで働きのんびりと気ままに暮らす。私の南洋幻想の罪──

 そのあとは言われるままに就農支援金など貰ってしまい、後にも退けなくなった。さらにいざ始めてみると、魔王農園はそんなに惜しむような特別なものではなかった。もっと上手に経営している人はいくらでもいた。

 魔王ははっきりと言わないがおそらく赤字だ。いくら手伝っても勉強代だと言ってタダ働きをさせるのは、小遣いすら出せないからだ。昼食だけは出る。折角ドラゴンに愛着が出て来て、魔王との関係も良くなってきていたのだが、こう会う度に小言を言われると憎悪がぶり返すし、畑も嫌いになる。

 ある日とうとうこの老人の夢を追ってやるのが馬鹿馬鹿しくなり「自分に畑は向いてないし興味もない」と言った。

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 「お前には向いてないわ」と返事が来た。これで老カップルの相手も卒業だ。これからは自分の人生だと喜んだが、やはり無料の労働力を簡単に手放す魔王では無かった。

 翌日はまた何事も無かったかのように、仕事帰りの作業を命じられた。だが、曖昧な態度をとって彼の畑信仰に巻き込まれていくのがいつものパターンなので、手伝いはするが今後は縮小し、魔王が死ねばこんな事は辞めると伝えた。

 実際は、やはりもったいない気持ちがあるので、私の余生を迫害しない程度に作物を残すと思うが、余計なことを言えば付け入る隙が生まれる。

 魔王は「お前も収穫ができれば畑の楽しさが解る」などと未練がましく、少し可哀想に思った。しかし同時に、親子関係を利用するいつもの手だと思ったので、棄教の宣言は変えなかった。

 魔王の死のその後は少数のドラゴンたちを林業で養いながら生きていこう。


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朝7時の船で林業へ向かう我々。乗っていた老朽船のエンジンが止まり、しばらく漂流した。

 まあ畑なんか辞めると言ったものの、受け取った補助金を返すことが今はまだできない。タンカンの世話は罰のつもりでやるしかないか。深く考えもせず、言われるまま流された罰だ。そしていつか自分を買い戻すのを目標にバイトを頑張ろう。サーモンやステーキはまた遠のいた。

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 今日も渋々、罰の畑へ寄る。そこには罰の木が有る。これらは美味しい実をつけるだろう。私は内地で知った。罪の実は美味しいものです。あ、これは罰だった。罰は苦い。