辺境にて

南洋幻想の涯て

台風モラトリアム ⒊

 台風の猶予期間は残り二日。スュリの農園で魔王を手伝う。

 昨夜の宴会の片付けを少しだけする。まだリビングで眠っているトラボルタに起きたら勝手に帰れとLINEを残し、校長室を出た。トラボルタは歯軋りがうるさく、昨夜はクンミャトが校舎を齧る夢を見た。


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 校長室は水に囲まれ水上都市のようになっている。桟橋も集落の道も静かな湖面のようで神秘的な光景だった。今は台風は遠ざかっているので風も海も穏やかだ。

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 スュリの手前のウセ集落の道は浜から打ち上がった砂に覆われていた。浜と道の近い集落はこれがあるから大変だ。さらに台風の後はゴミもかなり漂着する。

 今日は厚い雲の間から陽が射している曇りと晴れの戦場のような空模様である。時間が経つにつれ雲の旗色が悪くなり、台風対策で締め切ったビニールハウスの温度がかなり上昇してきた。

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 折角バネを入れて締め切ったハウスだが今日明日は解放する事にした。温度が上がり過ぎればマンゴーが青落ちする。ハウスを守るか作物を守るか毎夏の悩ましい問題だ。

 この日はマンゴーを吊り上げていたフックを回収した。八月中には剪定を済まさなければならないので台風後すぐ取り掛かれるようにするためである。


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 まだ下がっているマンゴーに振動を与えないよう一つづつ慎重に回収する。これまでの出荷分だから数百本下がっており一日仕事になった。集落の蕎麦屋さん夫妻も手伝ってくれた。

 

 夕方廃校に帰り、昨夜の鍋の残りに手を加えて鶏と野菜のスープにした。良い出汁が出ている。籠城中は一日一食にするつもりだがこれだけでも四日はもちそうだ。


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ご飯は節約して茶碗に半分だ。

 

 翌日、猶予期間の最後の日。今日も同じような空。水上都市で目醒める。

 物流が止まって五日は経つだろうか。マンゴーの出荷ももちろん出来ない。それでも彼らはお構いなしに熟しネットに落ちる。クーラーで最低温度にした部屋に保存する。どんどん溜まって傷んでいく。

 島中の農家が同じ運命だから市場で投げ売りしても売れない。最終的には全てカットして凍らせ、一年中デザートにする。

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人とぶつけ合いをするぐらい有る。

 今日は島内のたくさん買ってくれた人や普段お世話になっている人に配る事にした。マンゴー、ドラゴンを引き連れて魔王と仲良くドライブに出かける。


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 K子ばあは引き換えに茄子やシブリを呉れた。かわいい花が咲いているが魔王も育てているK子ばあも名前を知らなかった。何という花だろう。

 東の港の料理屋さんがまだ開いていた。食材がとうに払底して閉めていると思っていたのだが。大好きなソーキ丼卵付きを大盛りで食べた。久しぶりに満腹になるまで食べた気がする。とても幸せだ。

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 スュリへ帰り、発電機を運び今や貴重品になったガソリンを八分目まで入れる。


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 最後に再びビニールハウスにバネを入れ閉ざし、スュリを去る。過保護な魔王が私の心配をする。何かあれば連絡してと言い残しておいた。どれぐらいのマンゴーが生き残るだろうか。台風がこの島を過ぎ去っても当面物流は回復しない。本島に本土からの船が来る日まで耐えなければならない。小雨が降ったり止んだりし始めた。廃校に戻る。

 

 これを読んで下さっている方の中には、なぜこいつは台風の間ぐらい実家に居てやらないんだと不思議に思う方も有るかもしれない。答えは単純明快だ。家でゲームばっかりしていると怒られるからだ。

 

 早速PS4の電源を入れようと寝室に入る。寝室の雨戸の向こうで男の声がする。怖っ。声は玄関の方へ曲がった。ドアを開けるとお頭の兄がいた。通話を切りスマホをポケットに突っ込んだ彼は、よう!と言った。近くまで来たから遊びに来たのだそうだ。宴会で散らかったままのリビングへ通した。彼は今夜は本島側のスナックへ飲みに行こうと画策しているらしい。台風ですよと言ったが、今の穏やかな波を見てみろと窓の外を指差した。

 所有する釣り船で渡り、明日以降また波をみて帰って来ると言う。豪気だ。夕方には迎えに来たお頭と帰っていった。

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 私も校長室を出た。近々Sちゃん達にボルシチを作ると約束をしているのを履行しておこうと思い立ったからだ。材料も用意してくれているのに台風が過ぎるまで待てば傷んでしまうかも知れない。今日作ってしまえばもう心配しなくて良い。


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 Sちゃんの娘さんが買っておいてくれたビーツは白くやけに大きかった。蕪と間違えたのではと思ったが確かにビーツの味と香りがする。色んな品種があるようだ。当然だがボルシチの特徴である赤みが出なかった。さらにみんなの口に合うように和風寄りの味付けにした。

 こうして完成したけんちん汁を皆で食べ、今夜は少し早めに引き上げた。心のざわつくピンク色の世界を帰る。


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廃校が海に浮かんでいるように見える。

 

 シャワーを浴び、ベッドに横たわる。何をするでもなくぼんやりと天井を眺める。この平行になった頭や足の以下数m以内まで海が来ている。お頭の兄は本当にこの海を渡ったのだろうか。

 ……これからは夕食以外は摂らず水と菓子で過ごそう。そしてエネルギーを浪費しないよう昼夜もなく眠れるだけ眠って過ごそう。それから…

 

 突然。強い雨音と共に雨戸がガタガタと鳴りだした。後はもう眠り続けよう。エコーに命じ、寝室の灯りを消す。

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台風モラトリアム 終り。